センバツ優勝投手もプロでは野手としてプレー
投打の軸として敦賀気比のセンバツ優勝に大きく貢献した1年後、平沼翔太は鎌ヶ谷ファイターズスタジアムで一軍昇格に向けイースタンリーグに出場し経験を重ねている。春季キャンプではオコエ瑠偉(楽天)、平沢大河(ロッテ)、小笠原慎之介(中日)といった同年代のルーキーの状況が報じられる中、自分の取り組むべきことにしっかりと向き合っていた。
平沼は敦賀気比高時代、2年生エースとして14年夏の甲子園に出場。左足を高く上げ、かぶっている帽子がずれるほどの躍動感のある投球フォームで注目を集める。平沼の力投もあってチームは準決勝までコマを進め、対戦したのはこの年の優勝校となる大阪桐蔭だった。初回に味方打線が一挙5点を、打線の援護を受けて平沼はマウンドに上がる。
しかし、直後に3点、2回には2点を失い同点に。3回には敦賀気比が勝ち越すが4回に5点、6回にも2点を許し12失点で途中降板。試合は9対15で敗れ「先輩たちの夏を終わらせてしまった」と平沼は涙を流した。
そして、秋からの新チーム。平沼は「4番・ピッチャー」と投打の軸として活躍。秋の北信越大会優勝を決め再び甲子園に帰ってきた。迎えたセンバツ。平沼は聖地・甲子園で躍動する。初戦の奈良大附戦をわずか1安打に抑える完封勝利を挙げると、2回戦の仙台育英戦では佐藤世那との投げ合いを制し2対1で勝利。準々決勝の静岡戦は先制の2ランを放ち、打者としての評価も高めた。
準決勝では前年夏に敗れた大阪桐蔭と再戦する。前回同様、味方が序盤から援護する展開の中、平沼は気を緩めることなく投げ続け、終わってみれば11対0の圧勝で見事にリベンジを果たした。東海大四との決勝は初回に1点を与えたのみで、2回以降は無失点。8回にピンチを迎えるも、相手のスクイズを察知して危機を脱する。3対1で勝利し北陸勢初となる甲子園制覇を成し遂げ、平沼は優勝投手となった。
夏も福井県大会を勝ち抜き、敦賀気比は春夏連続出場を決める。初戦の明徳義塾戦はサヨナラ勝ちを収めるも、続く花巻東戦は4回に一度途中降板するなど不本意な投球に終わり、春夏連覇がついえた。さらに平沼は甲子園終了後、18Uワールドカップの日本代表メンバーから漏れる悔しさも味わった。
それでも、平沼の才能にプロのスカウトは評価し続けていた。秋のドラフト会議では日本ハムが4位で指名。持ち前の打力を生かして内野手にコンバートされることになる。くしくも、ドラフト前に行われた9月の国体では、ショートを守る平沼の姿があった。
3月12日の日本ハム対西武のイースタンリーグ開幕戦。平沼は「8番・ショート」でスタメン出場し、4打数2安打と早速その大器の片鱗を見せつけた。以降、1年目からショートの定位置で出場し続けている。日本ハムといえば近年、高卒野手を主力選手に育成する能力が高いことで有名だ。イースタンリーグで野手として経験を重ね、一軍へ昇格し札幌ドームでプレーする平沼の姿が見られるのはそう遠い先の話ではないだろう。