多くの日本人投手が活躍した“ドジャース”というチーム
今季からドジャースに移籍した前田健太が、現地時間6日の開幕3戦目に登板。6回無失点でメジャー初登板初勝利を挙げ、バットでも初安打をホームランをで飾るなど、順調なスタートを切った。
現地のファンにスタンディングオベーションで迎えられたマエケンのデビュー登板であったが、ドジャースファンの中にはきっと、いや間違いなく、数年前にロサンゼルスを沸かせた日本人右腕の姿に重ねあわせる人たちがいたことであろう。野茂英雄である。
今でこそ「日本で結果を残したら、メジャー挑戦」という目標は現実味を帯びたもので、いまや高校生でも抱くものとなっているが、1995年に野茂英雄がメジャーの門を叩くことがなければ、野球少年たちがそんな夢を抱くこともなかったのかもしれない。
野茂が近鉄(当時)からドジャースに移籍したのが1995年のこと。1年目からいきなり13勝(6敗)を挙げ、リーグトップの236奪三振をマーク。最多完封に、新人王のタイトルも獲得した。
あの独特の“トルネード投法”がファンの心をつかむのに、時間は必要なかった。「ヒデオ・ノモ」は日本人投手の可能性をストレートとフォークのみで見せつけたのだ。
野茂は日米通算で17年のキャリアを持つが、日本では5年、メジャーが12年と、そのキャリアのほとんどをメジャーで積み上げている。そして12年のメジャー在籍で7回の2ケタ勝利を記録しているが、そのうち5回はドジャース在籍時に挙げているのである。(※95年、96年、97年、02年、03年)
1998年の途中にニューヨーク・メッツへ移籍すると、そこからは1年ごとにチームが変わるも、2002年にドジャースへと復帰。同年には、石井一久がドジャースに入団した。
石井も1年目から14勝(10敗)、9勝(7敗)、13勝(8敗)と先発として活躍。野茂とともに結果を残し、ドジャース投手陣を牽引した。
また、野茂と石井がドジャースを退団した2006年には、横浜(現DeNA)から斎藤隆がやってきた。斎藤も入団1年目から主にストッパーとして24セーブを挙げると、翌年は39セーブ、続いて18セーブと、在籍3年を通してチームに貢献。
そして2008年には、黒田博樹が入団。1年目から9勝(10敗)、8勝(7敗)、11勝(13敗)、13勝(16敗)と、在籍した4年間に渡り、ローテーションを守り続けた。
今では日本で結果を残した投手の多くが海を渡り、メジャー挑戦をしてきたが、その分ファンの期待に応えることなく、日本球界に戻ることになった投手が増えているのも事実である。メジャーリーグのファンは手厳しく、ふがいないプレーに対しては、反応も正直だ。
しかし、ドジャースファンにとっての日本人投手といえば、期待を裏切ることなく活躍するイメージが強いことは間違いない。
野茂英雄が拓き、石井や斎藤、黒田が固めたロサンゼルスの道の上に立ち、一歩目を力強く踏み出した前田健太が背負う荷物は、決して軽いものではない。
しかし、ドジャースファンは、前田を見るときに歴代の日本人投手たちの背中と重ねあわせ、ときにはその背中を押してくれるに違いない。
歴史を受け継ぐ前田健太の挑戦は、始まったばかりである。