ニュース 2016.04.19. 11:00

多くの名選手を生んだ“野球大国”・熊本

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ロッテ・伊東勤監督

数多くの名選手を輩出した“野球大国”


 「熊本地震」という、本当におそろしい災害が九州地方を襲った。1日では終わらず、2日、3日と震度6クラスの地震が起きるという、考えられないことがおきてしまった。亡くなった方々にご冥福をお祈りするとともに、避難生活を強いられた被災者の方々には、一日でも早く日常が取り戻せることを願っています。


 震災の報道が多くなると、スポーツニュースなどでは熊本に縁のある選手たちに注目し、活躍を取り上げるというシーンが増えた。そこで驚かされたのが、熊本出身のプロ野球選手、OBが実に多いということだ。

 まずは、先発投手。1試合19奪三振の日本記録保持者である元オリックス・野田浩司は、熊本県球磨郡多良木町の出身。県立多良木高校を卒業している。中継ぎでは、4年連続50試合以上登板のヤクルト・松岡健一。玉名市出身だ。抑えには、通算180セーブを記録した元ソフトバンク、オリックスの馬原孝浩。熊本市出身で、熊本市立必由館高校の卒業である。

 捕手では、現ロッテ監督の伊東勤がいる。西武黄金時代の名捕手は、熊本市の出身だ。一塁手には、“打撃の神様”こと川上哲治。巨人V9時代の監督。それ以外の言葉はいらないだろう。熊本県球磨郡大村町(現・人吉市)の出身で、県立熊本工業卒だ。

 二塁手は現役から中日の荒木雅博。熊本県菊池郡菊陽町出身。三塁手には西園寺昭夫、遊撃手は“赤ヘル旋風”を巻き起こした広島の元監督・古葉竹識。この2人はともに熊本市の出身である。

 その広島を支えた、“天才”こと前田智徳外野手も、熊本県の玉名市出身。西武黄金時代を支え、ソフトバンクの監督としても実績を残した秋山幸二は、熊本県八代郡宮原町(現・氷川町)出身だ。そして、「史上最強の1番打者」といわれた真弓明信もそう。熊本県玉名郡南関町出身である。


甲子園制覇は悲願


 各ポジションごとに見てもこれだけの名選手が揃っているが、こんなものではない。まだまだいる。

 巨人の藤村大介。熊本市中央区出身で、熊本工卒。そして同じ巨人で、売り出し中の立岡宗一郎は、熊本県葦北郡田浦町(現・芦北町)出身だ。

 プロ野球最後の三冠王・松中信彦は八代市出身。巨人の元気印として活躍した井上真二は、玉名郡南関町出身。両リーグで首位打者を獲得し、2000本安打も達成した江藤慎一は山鹿市の出身。巨人V9時代の5番打者・末次利光は人吉市の出身。

 また、女子野球選手で茨城ゴールデンゴールズの選手兼監督・片岡安祐美も、熊本市東区出身。県立熊本商業高卒だ。こう見ると、熊本出身の野球選手が実にたくさんいることがわかる。

 1996年、夏の甲子園決勝。熊本工が決勝まで進み、松山商(愛媛)と激突した。熊本工は初優勝をかけ、3-3で迎えた10回裏、一死満塁の大チャンスを迎える。ここで打者がライトへの大飛球を放ち、誰もが犠飛でサヨナラ勝ちを確信した。

 ところが、だ。ライトからの送球はダイレクトで捕手のミットの中へ。初優勝のホームインとなるはずが、本塁タッチアウト。いわゆる「奇跡のバックホーム」が誕生した瞬間だった。

 その後、熊本工は激闘の末に敗れて準優勝。今なお語り継がれる20年前の伝説のプレーの“被害者”が熊本代表だったのだ。

 これだけ多くの名選手を輩出しながら、夏の甲子園での熊本県勢の優勝はまだない。熊本工はこの準優勝を含めて準優勝3度。“野球大国”熊本。悲しみも胸に、今年こそは深紅の優勝旗を熊本に持ち帰ってほしい。

 4月15日のソフトバンク-楽天の一戦。決勝の3ランを放ってお立ち台に登ったソフトバンクの内川聖一は、被災地を思い、号泣した。気持ちはみんな同じ。熊本、がんばれ。
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