本日15時に記者会見
9月20日、午前10時。球団初のクライマックスシリーズ進出決定の余韻も冷めやらぬ火曜日の朝に、その一報が入った。
「三浦大輔選手 記者会見のお知らせ」――。
DeNA球団公式サイトにアップされたリリースを合図にするかのように、各メディアで三浦の“引退”が報じられると、そのニュースは瞬く間に拡散されていった。
“大洋戦士”最後の生き残り
横浜一筋25年。強かった時も、苦しい時も知っている“ハマの番長”。他球団のファンからも人気の高い選手だった。
プロ入りは1991年。ドラフト6位で横浜大洋に入団する。なお、経歴に「横浜大洋」の文字が入った現役選手は三浦しかいない。三浦が最後の“大洋戦士”である。
2年目の1993年にプロ初勝利を含む3勝を挙げると、1997年に初めての2ケタ・10勝をマーク。勝率はリーグ最高の.769を記録した。
翌年も12勝を挙げる活躍で、チームの優勝・日本一に大きく貢献。以降は大黒柱としてチームを支え続け、2005年には最優秀防御率と最多奪三振の二冠も達成。リーグを代表する投手に登りつめた。
打ち立てた“番長伝説”
長い間一線級で活躍してきた男には、様々な記録も残っている。
まずは1993年から続けてきた「23年連続勝利」。山本昌や工藤公康と並ぶ24年連続勝利へ向けて、今シーズンは2試合に先発するも未だ勝ち星なし。プロ野球記録に並ぶことができるのか。最後の最後まで目が離せない。
また、バットでも記録を打ち立てた。今季初先発となった7月11日の中日戦で安打を放ち、「24年連続安打」も達成。これはプロ野球の投手としては最長となる新記録であり、「プロ野球投手による安打を放った最多連続年数」としてギネス世界記録にも認定されている。
その他、“珍記録”も豊富。番長伝説で特に有名なのが、「開幕戦で勝てない」というものがある。
長らく横浜のエースとして君臨してきた右腕であるが、開幕戦の成績を見ると7度の登板で7敗。“全敗”なのだ。ちなみに「開幕戦7連敗」はプロ野球のワースト記録だ。
その内容を見ても、8回まで0-0の投げ合いから9回にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁弾を浴びた2005年の中日戦や、高橋由伸に開幕戦の初球をスタンドに叩き込まれるという史上2人目の屈辱を味わった2007年の巨人戦など、衝撃の大きなものも多い。
ハマの番長が下した決断とは...
横浜を愛し、横浜に愛された男。チームの垣根を超えて愛された選手であり、現在の球界における“最年長選手”という点でもその注目度は高かったが、その口から発せられたのは、やはり「引退」の二文字だった。
その理由を「勝てなくなったから」と説明した番長だったが、今シーズンはまだ残っている。悲願の優勝は果たせなかったものの、最終戦で勝利を収めることができれば、24年連続勝利となり、工藤公康や山本昌と並んでいた連続勝利のプロ野球記録を更新することになる。
番長の最終戦登板試合は、9月24日に横浜スタジアムで行われる巨人戦となる見込み。奇しくも、プロ初登板の相手が最後の相手となる。
▼ 三浦大輔
生年月日:1973年12月25日(42歳)
身長/体重:183センチ/88キロ
投打:右投右打
経歴:高田商-横浜大洋・横浜・DeNA(91年ドラフト6位)
[今季成績] 2試 0勝2敗(.000) 防8.64
[通算成績] 534試 172勝183敗(.485) 防3.58