意外な“史上初”
前年のリーグ制覇から一転、Bクラスに沈んだヤクルト。その中でも明るい話題と言えば、山田哲人がNPB史上初となる2年連続のトリプルスリーという大偉業を達成したことが挙げられる。
来季は3年連続のトリプルスリーという偉業に挑むわけだが、そんなヤクルトにはもうひとり、NPB史上初の“3年連続”に挑む選手がいることはあまり知られていない。
その男とは、ヤクルトのブルペンを支える変則の鉄腕・秋吉亮。もし来季70試合以上に登板を果たすと、NPB史上初となる「3年連続70試合登板」の達成となるのだ。
2年まではあっても...
ルーキーイヤーの2014年から61試合に登板すると、昨年は74試合、そして今年も70試合とフル回転。入団3年での200試合登板は、あの稲尾和久氏以来の快挙であった。
2年連続の70試合登板は秋吉以外にも過去に5人いるが、いずれも3年目は70試合に届かず...。理由を探ってみると、活躍したことでの役割の変化や、故障による離脱、不調といったところが大きい。
役割変更の例で言うと、ソフトバンクの摂津正がその一人。ルーキーイヤーから70試合、翌年も71試合と登板を積み重ねたが、3年目からは先発へと転向。いきなり14勝を挙げるなど、チームのエースへと登りつめた。
故障や不調の代表格は、中日の浅尾拓也か。2010年には72試合の登板で12勝をマークするなど大活躍を見せると、2011年は79試合の登板で防御率0.41という驚異の成績でリーグMVPにも輝いた。
ところが、その翌年から突如不振に陥り、登板数が29試合に激減。その後もかつての投球を取り戻すことが出来ず、今季はまさかの一軍登板ゼロに終わってしまっている。
とにかく1年通して健康に
このほかにも巨人の山口鉄也やオリックスの平野佳寿など、一流の投手をもってしても「3年連続」はなかった。以下は2年連続で70試合以上に登板をした投手の成績のまとめ。
【3年連続70試合への挑戦】
・稲尾和久(西鉄)
1958年:72試 33勝10敗 防1.42
1959年;75試 30勝15敗 防1.65
1960年:39試 20勝7敗 防2.59
・山口鉄也(巨人)
2009年:73試合 9勝1敗4セーブ、35ホールド 防1.27
2010年:73試合 8勝3敗5セーブ、20ホールド 防3.05
2011年:60試合 5勝1敗2セーブ、25ホールド 防1.75
・摂津 正(ソフトバンク)
2009年:70試合 5勝2敗34ホールド 防1.47
2010年:71試合 4勝3敗1セーブ、38ホールド 防2.30
2011年:26試合 14勝8敗 防2.79
・浅尾拓也(中日)
2010年:72試合 12勝3敗1セーブ、47ホールド 防1.68
2011年:79試合 7勝2敗10セーブ、45ホールド 防0.41
2012年:29試合 1勝0敗1セーブ、15ホールド 防1.50
・平野佳寿(オリックス)
2011年:72試合 6勝2敗2セーブ、43ホールド 防1.94
2012年:70試合 7勝4敗9セーブ、21ホールド 防2.15
2013年:60試合 2勝5敗31セーブ、9ホールド 防1.87
・秋吉 亮(ヤクルト)
2015年:74試合 6勝1敗22ホールド 防2.36
2016年:70試合 3勝4敗19セーブ、10ホールド 防2.19
さて、秋吉の3年目はどうなるのか...。秋吉自身は登板間隔が長くなることを嫌っており、「登板間隔が空くと調子が狂う」というコメントも出るほど。投げ過ぎに対する抵抗はない。
しかし、来季は開幕前にWBCという大きな戦いが控えており、秋吉は20日発表の一次メンバーに選出された。3年間で200試合以上に登板してきた中、これまでよりもさらに始動を早めなければならないのだ。
また、来季はチームの中でどの持ち場を担当するのかという部分も未定。もし守護神ということになると、70試合という数字はかなり厳しくなってくる。
肩や肘のトラブルに勤続疲労など、考慮しなければいけない点は多々あるが、まずはケガなく1年間を戦い抜くこと。これができなければ実現はない。
いつもよりタフな2017年、史上初の記録に挑む燕の変則右腕に注目だ。
※初出時、稲尾投手の通算成績に誤りがありました。お詫びして訂正致します。大変失礼致しました。