コラム

郭俊麟は再び旋風を巻き起こせるか…80年代に活躍した台湾出身選手たち

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80年代に西武のエースとして活躍した郭泰源 © KYODO NEWS IMAGES

“俺たちの時代”80~90年代のプロ野球を語り尽くそう -80年代台湾出身選手編-

郭俊麟 ,

 Bクラスからの巻き返しを目指すも、FA戦線では小谷野栄一の獲得レースに敗れ、チームの顔として長きにわたって活躍した中島裕之も迎え入れることが出来なかった西武。これといって目立った補強が出来ずに終わったストーブリーグであったが、気になる補強があった。台湾の22歳右腕・郭俊麟(かくしゅんりん)の獲得だ。

 プロリーグの経験は全くないものの、台湾代表の主力投手として国際舞台の経験は豊富。実質“ドラフト0位”の大卒ルーキーとして西武に入団した郭は、かつてチームのエースとして活躍した台湾人右腕・郭泰源の背番号「12」を受け継ぐあたり、何か“ワクワク”させてくれる存在だ。

 ものすごくざっくりとした分類になるが、日本プロ野球では80年代が台湾出身選手、90年代は韓国出身選手が活躍した時代であったと言える。ここでは、日本で旋風を巻き起こした80年代の台湾人選手にスポットを当て、語ろうと思う。


快速球がうなった郭泰源に先駆者・郭源治 荘勝雄は当時弱小だったロッテで孤軍奮闘

郭泰源 ,

 台湾人選手のナンバー1と言えば、やはり「オリエントエキスプレス」の異名を誇った郭泰源(かくたいげん/西武)だろう。ムチのようにしなる右腕から150キロを余裕で超える快速球をビシバシ決めて1年目の85年にノーヒットノーランを達成。その後は肩、ヒジの故障に苦しみ、横の揺さぶりによる制球重視のスタイルにチェンジしたが、それでも普通の投手より球が速いことに変わりはなく、シュートやスライダーが140キロ前後に達するという、当時としては破格のスピードで常勝西武を長年支えた。ちなみに2013〜2014年にはソフトバンクの投手コーチとしてマウンドへ走る姿を見せていた。

 続いて2位には郭源治(かくげんじ/中日)を推奨したい。81年に兵役を終えたタイミングで中日入りした台湾選手の先駆者的存在で、2年目に9勝を挙げると、以後は中日の主力投手として長年活躍。昨年限りで楽天を勇退となった星野仙一が初めて中日の監督に就任した際はリリーフに転向し、88年のリーグ優勝に大きく貢献した。陽岱鋼(日本ハム)と同じく台湾の原住民・アミ族の末裔で、13年から14年8月まで台湾プロ野球リーグの首席顧問も務めた。

 そして3位は荘勝雄(そうかつお/ロッテ)を選んだ。郭泰源と同じく85年から日本でプレー。泰源ほどの球速ではないとはいえ、140キロ中盤を記録することもあるストレートにキレの良いスライダー、シュート、時折タテの緩いカーブやナックルも混ぜるなど、多彩な投球で当時弱小チームだったロッテで孤軍奮闘の活躍を見せた。引退後もロッテの職員としてアジアの様々なチームへコーチとして派遣されており、14年はBCリーグ・福井ミラクルエレファンツのヘッドコーチを務めた。


忘れてはならないあの「一発屋」は? 確かにセンセーショナルな活躍だったが


 といったところだが……誰か忘れていないかって?

 解っています。呂明賜(ろめいし/巨人)でしょ? 88年に巨人に入団し、日本人には見られない豪快なスイングでホームランを連発。ムーブメントを起こした右の強打者を忘れるはずはない。当時は外国人登録枠の関係で入団しても2軍暮らしをせざるを得なかったが、クロマティーが骨折して戦線を離脱したことにより1軍に昇格すると、最初の打席でいきなり豪快なホームラン。その後も連日、ホームランを打ちまくったあの衝撃は計り知れない。当時は今など比べ物にならないほどプロ野球の注目度が高かったため、大げさではなく知らない人はいないほどのブームだった。

 結局、一度書き始めたらランキングした選手並の文字量を使ってしまったが、長年日本球界に貢献している面なども踏まえると、当時の台湾選手といえばやはり“二郭一荘”がレジェンドだと思うのだがどうだろう? 呂明賜の存在ももちろん高く評価されるべきだが、やはり活躍期間があまりにも短過ぎた。翌年以降、厳しい内角攻めや「確実性を上げるため」とかいうワケのわからない理由でフォームをコンパクトに“改悪”させられたことなどには同情するが、大河のようなプロ野球の歴史においてはやはり別の意味で「一発屋」だった感は否めない。この感覚は80年代の初期の頃からプロ野球とともに生き抜いてきた読者の方々ならはきっと理解してくれるに違いない! 私は勝手にそう信じている。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)
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