斎藤佑樹が本格的にリリーフ転向 90年代に似た道を歩んだドラ1投手の末路を探る
斎藤佑樹(日本ハム)が、シーズン後半からリリーフとして登板することが明らかになっている。早稲田実業高時代の甲子園優勝から、早稲田大での活躍、ドラフト1位で日本ハムに入団して2年目に開幕投手を務めるなど、常に期待を背負ってきた右腕だが、故障もあってプロでは通算13勝と伸び悩んでいる。
今回の斎藤ように、ドラフト1位でプロ入りするも伸び悩み、リリーフ転向によって活路を見出した投手は90年代にいただろうか。
近いケースを探してカウントダウン式のランキングにした。
日本シリーズの好投が光った小林宏は 先発で「もうひと越え」ところでリリーフへ
まず、ルーキーイヤーに先発として活躍後、一度故障離脱してリリーフに転向し、再び実績を残した投手といえば、伊藤智仁(ヤクルト)や沢崎俊和(広島)などが思い出される。だが、このふたりの1年目の活躍ぶりは実力的にも確固たるものがあり、斎藤佑樹の1年目とは微妙に違うと判断。その理由から対象外とした。
条件としては、「ドラ1として期待され、先発で起用されたが成績は微妙。故障や思うような実績を挙げられずにリリーフに転向」といったところだろうか。ややマニア性が高いが、該当する投手として、まず3位にしたのは小林宏(オリックス、楽天)だ。
小林は1992年秋にドラフト1位でオリックスに指名されて入団後、3年目の1995年から先発として定着し8勝。ヤクルトとの日本シリーズでは先発陣から外れたが、オリックス3連敗で迎えた第4戦目の延長10回裏にリリーフ登板し、延長11回に主砲・オマリーを相手に2本の大ファウルを打たれながらも三振に切ってとった場面は「小林の14球」として語り草になっている。
翌1996年はシーズン途中からロングリリーフ要員となり8勝し、1997年は中継ぎスタートも、前年抑えの鈴木平の離脱に伴い、代役として15セーブ。1998年に序盤抑えから後半先発に回って10勝した以降は、先発やリリーフを繰り返す投手人生だったが、2005年まで現役を続けた。
船木聖士に河原純一は故障の影響でリリーフへ 長年球界に居続けられたのは現役への執着心か?
続いて2位は、舩木聖士(阪神、ロッテ)とした。船木も小林と同様ドラ1として期待された右腕で、1年目の1996年開幕直後は腕を豪快に振りぬくオーバースローからのストレートを披露。スケールの大きな投手になりそうな気配を漂わせた。だが、ヒジの故障により5月に戦線を離脱し、7月に復帰はしたものの結局6勝どまり。以後は勝てなくなり、1997年は1勝8敗。1998、1999年は一時期だけ一軍の先発ローテーションに抜擢されたが、飛び抜けた結果は残せず。腕をやや下げたフォームになり、リリーフに回るようになった。2003年にロッテに移籍したが、豪快な速球は復活せず。2004年に引退した。
そして、1位は斎藤佑樹とはタイプは違うが、「男前のドラ1投手」ということで河原純一(巨人)を選んだ。河原は1年目の1995年途中から一軍に定着し、完封ラッシュで8勝を挙げる活躍を見せたが、その後、ヒジ痛により低迷。中継ぎや先発で復帰し、また故障……というサイクルを繰り返しながら1990年代を過ごした。次に華々しい成果を挙げたのは2002年で、本格的な抑えに抜擢されて28セーブを記録。この年の巨人日本一に貢献し一矢を報いた。
こうして球歴を列挙するだけだとわかりにくいが、今回紹介した投手たちは、リリーフに転向後の立場や成績は紆余曲折あれども、粘りに粘って長く現役を続けたという点は共通している。実力主義のプロ野球だが、ドラフト1位クラスの選手は、球団が高い投資をしているだけに「ダメなら即クビ」とはなりにくいと言われている。だが、今回紹介した3人はそれで良しとはせず、成功したかどうかは別にしても、最後まで生き抜く努力をした痕跡の残していた。
そこに重ね合わせるのであれば、斎藤佑樹の行く末は「どこまで現役に執着するか?」で決まってくるという見方もできるかもしれない。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)