大柄な投手が多数活躍 いつからそれが普通になったのだろう?
大谷翔平(日本ハム)は193センチ、藤浪晋太郎(阪神)は198センチ。ダルビッシュ有(レンジャーズ)が196センチで、岩隈久志(マリナーズ)が191センチ。最近は身長190センチを超えるトップクラスの選手が増えている。
今ではこれが当たり前に感じるが、以前のプロ野球ではこれほど長身投手が活躍していただろうか? それを思いおこす意味で、今回は1990年代に活躍した身長190センチ以上の投手をテーマに、カウントダウン形式のランキングで紹介していこう。
角度のある投球が光った山沖 デニーはサイド転向で一躍台頭
続いて第3位は友利結を選んだ。「デニー友利」という方がむしろファンには浸透しているか。1990年代の多くを過ごした大洋では、192センチの大型右腕として期待されながらコントロールが悪く、春先のオープン戦では毎年のように一軍で「期待登板」の機会を与えられながらも、それをいかせず台頭できなかった。
そして、状況を打開するためにサイドスローに転向。「長身なのにサイドってどうなの!?」という声も多く聞かれたが、この転向によって制球難が解消。西武に移籍した1997年からは150キロ近い速球と大きなカーブを武器に、迫力満点の大型サイド右腕に変貌を遂げた。
以後、セットアッパー、抑えなど、チーム事情に応じた役割をこなす鉄腕系リリーフとして、横浜、中日などでも活躍。引退後は、DeNAや中日のピッチングコーチとして、熱い指導で存在感を示している。
「アゴ」のイメージも強い門倉 1位はプロ入り後も身長が伸びたあの投手
また、第2位は193センチの門倉健(元中日他)の登場だ。中日、近鉄、横浜、巨人などを渡り歩いた長い球歴の中で、1990年代は中日期待の若手として2ケタ勝利を2度達成。140キロ台の速球とフォークボールを決め球とする投球は、まさに長身という特徴を最大限に生かしたスタイルだった。
……というマジメ話もさることながら、門倉といえばやはり「アゴ」。勝ち投手になると、選手が握手の代わりに門倉のアゴを握って祝福するなど、アゴにまつわる笑える逸話が数多く残されている。
そして、第1位は金石昭人(元日本ハム他)だ。金石はここまで紹介した3人よりさらに大きい195センチ。しかも、プロ入り後も身長が伸びて、日本ハム移籍後の1997年にはわざわざ197センチに登録しなおしているという、とんでもない大型右腕である。
若かりし広島時代は、北別府学、大野豊、川口和久といったエース級の裏ローテか、中継ぎを担うことが多かったが、日本ハムに移籍した1992年に先発で14勝し、翌年以降は守護神として活躍した。金石も他の例に漏れず、フォークボールを決め球とする長身投手だった。
以上、4名の投手を紹介したが、実をいうと、190センチ超の投手は、他にも数名存在していた。だが、川辺忠義(巨人他/193センチ)や南竜次(日本ハム/193センチ)など、期待されながら実績を残せなかった名前が連なっていた。
昔は「投手はあまり大きすぎても体を持て余してしまい大成しない」といわれていた時期もあったが、1990年代頃までは、その空気がどことなく残っていたようである。そう考えると、今の大谷や藤浪の身のこなしは、ほとんど超人級といっても差し支えないだろう。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)