コラム

誰よりも華のある野球人・新庄剛志 -元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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メジャーの舞台でも活躍した新庄剛志[Getty Images]
Giants v Dodgers X

絵になる男・新庄剛志


 阪神時代には敬遠のボールを伸びあがりながら打ってサヨナラ勝ちにつなげる。日本ハム時代にはオールスターのMVPを予告するとホームスチールを決めて表彰台の中央に立つ。どこまでも規格外で、誰よりも華のある野球人が新庄剛志という男だった。

 その宇宙人のような新庄が阪神のスターの座を投げうって、メジャー挑戦を表明したのは2000年のオフのことだった。この年にFAの資格を取得した新庄のもとには阪神だけでなくヤクルト、横浜らの在京球団も獲得に名乗り。破格の条件提示にも迷うことなく下した結論はニューヨークメッツ移籍だ。なんと年俸は当時のメジャー最低保証の20万ドル(当時レートで約2200万円)国内なら5年12億まで値がつり上がっていたのだからなかなか出来る決断ではない。

 同年のオフと言えば日米野球が行われている。今でこそメジャー球団も日本で公式戦を開催するようになったが、当時は2年毎にMLBオールスターが来日し日本選抜チームと激突した。実はこの年の日米野球に筆者も事務局の一員として参加、全戦に帯同して回った。その5年前に野茂英雄がメジャーの門を叩いてから日米野球の意義は大きく変わっていた。それ以前はあこがれの大リーガーを羨望の眼差しで見ているだけの日本人選手が、自分たちでもどれくらい通用するのか?メジャー挑戦のための「物差し役」の性格を帯びていったのだ。この大舞台に出場した新庄もまた4割を超す打率を残してメッツ行き決断の大きな要因となった。

 ここからはグラウンドの働きとは関係のない「新庄劇場」を紹介する。大リーグ挑戦を決断した人気者だが阪神時代11年間の通算打率は.249と決して胸を張れるほどではない。一流かと問われれば否だろう。その新庄がメッツの1年目に打率.268、10本塁打、56打点をあげ一時は四番まで任される活躍。同年にマリナーズに移籍したイチローの存在はすでに別格視されていたが、この男がここまでやれるなら俺だって、と日本人野手のメジャー志向を加速させたのも事実だ。さらに、日本のマスコミを混乱に陥れたのが2年目のサンフランシスコ・ジャイアンツへの移籍だった。前阪神の人気者の動向を伝えるべく大阪のスポーツ紙を中心にニューヨークに支局を開設したら1年で米西海岸へ大移動。

 この苦い経験を生かしてそれ以降は各社とも東西に特約通信員を配置することになる。絵になる男は現在、南国・バリ島で絵を描いているとか。とにもかくにも今の球界にはなかなかいない「異端児」である。(敬称略)

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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