コラム

金田正一、元祖“退場王”が残した功績 -元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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どうしても退場のイメージが強い金田氏であるが、今でこそ当たり前なアイディアを当時から実践していた一面も ©KYODO NEWS IMAGES
金田正一 ,

分かれる評価も、革命的なアイディアが光った


 球宴前の7月16日、日本野球機構はセ・パ両リーグの前半戦観客動員数を発表した。

 1試合平均でセは3万0575人に対してパは2万4339人。いまだに「人気のセ」は健在のようだが、古くから野球界を見て来た者としては、近年の両リーグの人気格差は縮まってきているように感じる。むしろ交流戦の結果や「侍ジャパン」の候補選手を見ても今や「パ高セ低」は明らかだろう。

 今から40年ほど前に人気の巨人や阪神に伍して満員の観衆を集めたパリーグの人気球団が誕生した。金田正一監督率いるロッテだ。

 本拠地だった東京球場を失い、神宮球場などに「間借り」していた苦しいチーム事情に関わらず、就任2年目の1974年には熱狂的なファンに後押しされるようにパ・リーグを制覇。その勢いのまま中日との日本シリーズも制して一気に頂点に駆け上がった。

 前人未到の400勝投手として伝説の人でもある金田だが、監督としてもユニークな指揮官だった。今では皆無となった監督がコーチャーズボックスに立って見せる派手なパフォーマンスは「カネやんダンス」と話題を呼ぶ。そうかと思えば審判への猛烈抗議や相手選手との乱闘もお構いなし。後に近鉄のタフィ・ローズに破られるまでは退場の日本記録保持者でもあった。

 この金田監督の評価は難しい。2度にわたるロッテの監督通算では、74年の日本一以外は特筆すべき数字は残していない。しかし、人気の低迷していたパリーグに世の注目を集め、後の野球界では当たり前になる改革を実践していた点は注目に値する。

 ロッテ担当に配属された当時、まず驚いたのは常に巨人の動向を気にしていたことだ。「今日は巨人の試合があるやろ。一面にならん」とニュースになりそうなネタは各チームの試合のない月曜日に提供する。このあたりは広報担当だ。

 さらに、食事の大切さ、体の手入れなどに早くから着目。今で言う栄養士からトレーナーまでを本格的に取り入れたのは金田の功績だ。

 食事面では現役時代から自ら腕を振るった「金田鍋」がある。キャンプには自ら大きな鍋を持ち込み、肉から野菜まで高級品を買い出してはナインにふるまう。飲み物も炭酸類は御法度だ。

 今では当たり前となっているトレーナー導入も早かった。もともと個人専属のトレーナーを雇っており、「野球選手は体が資本。そのためにはカネに糸目はつけない」というのが持論。現在の巨人を例にとると10人を越すトレーナーに理学療法士までいるが、40年も前にこうした部分の大切さを説き、実践していった点はもっと評価されてもいい。

 王、長嶋と並び称されて来たが、監督としてたった1度の日本一なのに今でも悔しがるエピソードがある。中日を撃破してチャンピオンフラッグを手にした翌日、スポーツ紙の一面は長嶋の現役引退発表だった。この背景には親会社が新聞社同士の「さや当て説」がささやかれたが、いまもって真相は明らかになっていない。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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