コラム

金田正一のイメージといえば… -元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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現役時代通算400勝を挙げた金田正一©KYODO NEWS IMAGES
 金田正一のイメージと言えば「天皇」である。400勝投手の金看板は今になっても輝き続ける。その中身を精査していくと国鉄(現ヤクルトスワローズ)時代には勝利目前の投手を降板させてリリーフのマウンドに立つとそのまま投げ抜いて勝ち投手になったこともある。

 このあたりは「天皇」というより「ワンマン」の方が正しい呼称かも知れないが、監督時代は記者にとって刺激的な取材対象だった。以下は破天荒な金田言行録を紹介する。

 ある遠征時のこと。マネージャーに命じて複数の若手選手を夜の街につれて行くという。行き先は今で言うソープランドで理由は気分転換だ。1970年代のロッテは仙台を準本拠地としていたが、自宅のある東京に戻れるのはごくわずかで各地を転戦。

 ストレスもたまっているからとの親心?だがこんなところまで気を配る監督は記憶にない。また、ある試合では勝利目前の左腕投手を5回途中で降板させる。

 試合後に理由を尋ねると「ヒジの位置が1、2ミリ下がってきていたから」と言う。この試合は見事な継投で勝つのだが、さすが400勝投手の見るところは違うと感心したものだ。

 当時の担当記者とチーム関係者の関係は今に比べると濃密なものだった。何せ前述したとおり、1年中が旅なのだから家族といるより一緒にいる時間は長い。

 仙台遠征の移動日のこと。担当記者に夕方、集合令がかかると映画を見に行くという。その映画の題名は「さすらいの航海」。本拠地を持たずまさにさすらいの旅を続けるチームにダブらせて、いたく感銘する指揮官だが我々は感動ばかりしているわけにはいかない。何せ、新聞記者は原稿を書いてナンボ。

 新聞記事の舞台裏を明かせば、地方に届く紙面は早版といって、当時でいえば締め切り時間は午後8時頃だった。ちなみに最終版は夜中の午前0時や1時でも間に合うのだが早版の原稿を書き終えるためには映画を見ていると間に合わないのだ。駆け出し時代のこちらが鬼デスクの顔を思い浮かべてそわそわしだすと金田がやおら電話に出ると言う。

 「ワシや、金田や。お前のところの担当を借りているからな」かつて、ロッテ担当だったデスク氏もこれには二の句が継げない。ある時には担当記者を来年も続けさせろ、と人事まで直談判。さすがにこれは却下されたが400勝男はどこまでも型破りだった。

 「天皇」と言えば、列車の緊急移動のこと、満員で座席が確保できないとマネージャーが苦慮していると車掌が気をきかせて何とか金田分を確保した。当時はまだJR民営化前の国鉄時代。

 巨人やロッテに籍を移したとはいえ金田と言えば国鉄スワローズの大エースだったから車掌さんだってファンが多かったのだ。もっとも後日になって緊急座席のからくりを聞いて驚いた。実は当時の列車には犯罪者などの緊急護送のために、数座席はあらかじめ確保されていたのだ。恐るべし、金田正一!

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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