ジョンソン(広島)、ディクソン(オリックス)など今年も活躍する技巧派助っ人は1990年代にもいた
今シーズンのプロ野球は、ジョンソン(広島)、ディクソン(オリックス)といった外国人投手の活躍が目立っている。彼らはバッタバッタと三振を奪いにいくタイプではなく、両コーナーの出し入れや、低めを丁寧につくことで凡打の山を築く技巧派投手。
ストレートが速くて制球が抜群などという投手は、本場メジャーリーグの球団も手放さない。そのため、日本にやってくる外国人投手には、このタイプが古くから活躍する場ができている。メジャーではスピードが遅いと評価されていても、日本でなら十分通用するレベルであることも多く、思いのほか化ける投手もいる。今回はそんな技巧派外国人投手の中で、1990年代に活躍した印象の強い面々をランキングにして紹介していこう。
大男の風貌から多彩な投球をしたミンチー(広島他)、グロス(日本ハム)は粘りが身上のタフネス右腕
続いて第2位は日本ハムでたて髪をたなびかせるように投げていたグロスとした。この投手は奪三振の少ない打たせてとるタイプで、ヒットはよく打たれ、走者を賑わしていたが、低めに落ちるボールでゴロを打たせて粘りのピッチングを見せた。当時の日本ハムは決して優勝争いの常連というほどのチームではなかったが、その中でもグロスは淡々と投球回数を重ねており、1年目の1994年から日本で最後にプレーした1998年までの6年間で、今ではちょっと考えられない230イニング以上投げたシーズンが2回あり(しかも当時は130試合制)、1995年から2年連続で最多勝を獲得した。特に1996年、日本ハムは終盤まで優勝争いを演じており、最終的には2位で涙を飲んだが、実質エース級の働きでチームの躍進を支えた。
「小錦が肩にのっている」という謎の言い訳はもはや伝説? 208センチの長身左腕・ヒルマンが名実ともにナンバーワン
そして、技巧派外国人投手1990年代ナンバーワンは、身長208センチというミンチーよりもさらに長身である左腕のヒルマン(ロッテ他)に捧げたい。1995年にロッテに入団すると、スクリューボールやスライダーを駆使してベース板の幅を広く使う投球で先発の柱として定着。伊良部秀輝、小宮山悟と並ぶ3本柱として、ボビー・バレンタイン監督第1次政権時における快進撃(リーグ2位)の原動力となった。ところが、翌年までの2年間、ロッテで合計26勝を挙げたあと、2年で5億円という大型契約で巨人に移籍してから事態が急変。これだけの大金を得ていながら肩痛でほとんど登板せず。1997年は2試合に登板したのみでオフに手術し、翌1998年はオープン戦では登板したものの、その後肩痛が再発し登板要請を拒否。その痛みについて「小錦(当時大関だった人気力士)が肩の上に乗っているようだ」と訴えたのは、今でも時折話題になるほどの伝説的な名言になっている。
これでひとまずランキングとしては終了だが、番外編をひとつ。1990年代には技巧派の一種であるが特殊なカテゴリーとして、「ナックルボーラー」がいたことを紹介しておきたい。その名はマットソン。今はなき近鉄バファローズに1998年に入団し、投球の多くがナックルという本格的なナックルボーラーとして注目された。この年は5月に1軍初登板を果たした後、しばらくはリリーフだったが、7月から先発に定着して9勝。だが、翌年は数少ないナックルを投げない時のボールを狙い打たれて5勝にとどまり、その年で解雇されている。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)