山崎康晃が25年ぶりに新人セーブ記録を更新 1990年代の新人でこの記録に迫った火消しはいたか?
DeNAの山崎康晃が8月20日32セーブ目を挙げた。これは与田剛(元中日他)が1990年に樹立した新人セーブ記録31を塗り替えたもの。25年ぶりの新記録達成までの間には、それに挑んだ者が数多く存在しており、1990年代にも与田以外にいきなり抑えとして活躍した投手がいた。今回はそんな新人ストッパーとして輝いた選手を、セーブ数の多い順に逆ランキングで紹介していこう。
野茂一色だった空気を一変させた与田の剛速球 河本、岡本はチーム事情による抜擢に応える
この与田に続く第2位が、1992年の河本育之(ロッテ)と1997年の岡本克道(ダイエー)で、ともに19セーブを挙げている。河本は左腕、岡本は右腕の違いがあるが、ともに力のあるストレートを武器とし、当初は別の投手が抑えだったが、それがうまく機能しなかったことで途中から抑えに定着した。
無理な起用にも黙って結果を出した小林幹と佐々岡 大車輪の活躍でともに特別表彰された
続く第4位は1998年の小林幹英が18セーブ、第5位には1990年の佐々岡真司が17セーブと広島勢が続く。小林は当初、セットアッパー的な役割でスタートしたが、開幕戦でのプロ初登板のリリーフで初勝利を挙げたことから抑えも兼任するようになり、同点などでも積極的に起用され、2イニングくらい当たり前のように投げる大車輪の活躍を見せた。
また、佐々岡は先出の野茂、与田と同じ1990年の同期で、開幕時は先発だったが途中から抑えに転向。当時の日本プロ野球新記録となる17試合連続セーブポイントを記録した。そして、8月の終わりになると再び先発へ。今では考えられない起用のされ方だったが、そのつど与えられた役割をまっとうした。1990年代は、まだセットアッパー、クローザーが1イニング限定で投げるというシステムにはなりきっていなかった時代。
特に広島は先発と抑えの大胆な配置転換や、好調な投手の一極集中的な起用が目立った。小林、佐々岡とも、そのときの孤軍奮闘ぶりが称えられ、小林のときは川上憲伸(中日)、佐々岡のときは与田(中日)が新人王を獲得したが、ふたりとも特別表彰を受けている。
与田の故障により2年連続新人で抑えとなった森田 1993年日本ハム2位躍進の陰に山原の奮闘あり
佐々岡と並び第5位は、もう一人いる。1991年に17セーブを記録した森田公一(中日)だ。前年、大変な話題になった与田が故障により開幕出場が難しくなった中で、新しい選手を思い切って抜擢することが多かった当時の星野仙一監督が2年連続で新人をリリーフとして託した格好となったのが森田だった。与田のように150キロを超えるような球速はなかったものの、森田も173センチと小柄な体をフルに使った躍動感あふれるフォームから140キロ台の速球を投げ込み、勝ち星も2ケタの10勝に達している。
最後に、特別枠として1993年の山原和敏(日本ハム)の名前を残しておきたい。セーブ数は5しかないが、この年、新人ながら「親分」こと大沢啓二監督の抜擢で中継ぎ、抑えと任され、「ちぎっては投げ」を地でいく投げっぷりで開幕直後のチームを支えた。5月途中で故障離脱となり、その後は金石昭人が抑えを務めて、この年パ・リーグ2位と躍進した日本ハムだったが、新人・山原のシーズン序盤の熱投は隠れた功労賞だった。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)