高校卒のドラ1ルーキーがチームを救う!
ソフトバンクが首位を独走し、日本ハムが2位をキープ。現在のパ・リーグは、その下、CS進出をかけた3位争いが熾烈だ。
そんななか、投手陣のテコ入れ策として、高校卒の1位ルーキー・高橋光成が1軍昇格。初登板初先発となった8月2日のソフトバンク戦は、3回4失点(自責点3)で降板したが、9日のオリックス戦でプロ初勝利。本来は「二軍でじっくり育成する」という方針だったが、急遽の一軍昇格にもひるまず堂々としたピッチングを披露した。そこから先発として3連勝。しかも、3勝目はプロ初完封。早くも「松坂大輔以上」「ダルビッシュ有以上」といった記事が出た。
高橋は1997年2月生まれの18歳、群馬県出身。沼田市立利根東小学校1年のとき、「利根ジュニア」に入団して野球を始めた。当時は主に、投手、外野手だったという。沼田市立利根中学校では、軟式野球部に所属。3年生になると3番・投手として、市大会ベスト4という成績を残した。なお、この年、沼田市から、沼田西中学校が関東大会進出。市大会ベスト4は大いに価値ありといえる。
中学卒業後は、前橋育英高校に進学。1年夏からベンチ入り、秋の新チームからエースとなり県大会優勝。しかし、続く関東大会では、翌春センバツ優勝を果たす浦和学院高校(埼玉)に初戦敗退。2年春の県大会も優勝し、続く関東大会では決勝に進出したが、またも浦和学院高に敗れた。「甲子園で浦学を倒す」を目標に掲げた2年夏、県大会優勝。チームを夏の甲子園初出場へと導いた。当時から身長188センチあり、ストレートは最速148キロ。「長身からのストレートに威力あり、フォークとスライダーにキレがある」と評されていた。
甲子園では初戦の岩国商(山口)戦で、9連続を含む13奪三振で完封勝利。続く2回戦は、樟南(鹿児島)に完封勝利。さらに、横浜(神奈川)、常総学院(茨城)など強豪を撃破して決勝進出。延岡学園(宮崎)との決勝戦では3失点(自責点2)したものの、6安打5奪三振で完投勝利。甲子園6試合、50回を投げて防御率0.36。母校の初出場初優勝の立役者となった。
新・平成の怪物として覚醒するか!?
2年生にして甲子園優勝投手となり、高校生年代の日本代表として国際大会にも出場したが、その後は調整不足やプレッシャー、練習中に負った右手親指骨折などに苦しむ。2年秋の県大会は初戦敗退。3年夏の県大会は3回戦で、脇本直人(現・ロッテ)率いる高崎健康福祉大高崎高校(=健大高崎)に敗れて甲子園出場ならず。
ちなみに、同学年で2年春の甲子園準優勝の剛腕・安楽智大(済美→楽天)も、1学年上で2012年夏の甲子園で22奪三振をマークした松井裕樹(桐光学園→楽天)も、3年夏の甲子園には出場できていない。
2014年秋のドラフト前、西武が早々に1位指名を公表。2009年の菊池雄星(当時、花巻東高)以来となる「1位指名宣言」で他球団をけん制した。結果、西武が単独1位指名。仮契約の席で「目標は大谷翔平投手。対戦したいのは中田翔選手です」「しっかり走って1年目は体力をつけて、後半で一軍に上がれたらいいなと思います。先発を任されたら、9回を投げられる投手になりたい」と明るく語った。
その抱負は予言となり、後半戦に入った8月2日に一軍デビュー。連敗を止めることはできず黒星スタートとなったが、2戦目の9日にプロ初勝利。西武のルーキーが2試合目で勝利をあげるのは、1999年に初登板初勝利の松坂大輔(現・ソフトバンク)以来。今年の高校卒ルーキー一番乗り、18歳6カ月での勝利だった。
初勝利の8月9日は5回1/3、2勝目の16日は5回でマウンドを降りたが、3連勝目の23日は、ロッテ打線を6安打完封。本人は「7回ぐらいから完封を意識していました。バテていたけど思いきり投げることしかできないので、最後まで思いきり腕を振りました」と話し、捕手・炭谷銀仁朗は「ストライクゾーンで勝負できました。真っすぐ主体で力で勝っていた」と手応えを明かした。
高橋は今年2月、二軍の練習試合で152キロをマークした。そのとき、「期待は高まるけど、大事に大事に」とコメントした田辺徳雄監督だが、悠長に構えてはいられない。ルーキーの4試合目での完封勝利は、ダルビッシュ有(日本ハム→レンジャーズ)、田中将大(楽天→ヤンキース)よりも早く、西武の高校卒ルーキーが3連勝したのは松坂以来。周囲の期待は否が応でも高まる。
高橋光成が西武のAクラス入りに欠かせない投手であることは、もはや間違いない。連勝はどこまで伸びるのか。そして、平成の怪物として覚醒するのか――。真価が問われるシーズン終盤、この男から目を離してはいけない。
文=平田美穂(ひらた・みほ)