打率3割、30本塁打、30盗塁以上のトリプルスリー 1990年代や、その直近の年にも達成者は存在
今年、セ・パ両リーグの個人記録で俄然、注目度がアップしているのが、山田哲人(ヤクルト)、柳田悠岐(ソフトバンク)の2人だ。いずれも、打率3割、30本塁打、30盗塁以上の「トリプルスリー」達成を視野に入れている。長いプロ野球の歴史においても過去8人しか記録していないこの大記録。今回はそんな打って走れる近代野球の選手を紹介しよう。
1990年代後半に近い記録を連発していた金本 穴の多さが解消され始めた1989年に達成した秋山
ただ、盗塁についてはそれ以前に20以上記録した経験がなかったため、一番の障壁と思われていたが、2000年は果敢にスタートをきり続けてシーズン残り5試合を残した10月4日に30盗塁達成。実働21年間で20盗塁台だったことが一度もない選手が、この年だけ大台にのせることに成功した。ところが、そんなときに限って本塁打があと一歩伸びず。残り4試合残して29本。待望の30号が出たのはシーズン最終戦という、ギリギリでのトリプルスリー到達だった。
続いて第2位は秋山幸二(西武他)だ。秋山が達成したのは1989年。この時の数字は打率.301、31本塁打、31盗塁。若い頃は3年連続40本塁打以上放った反面、打率は低く「三振か本塁打か」というタイプだったが、徐々に確実性も出てきて絶頂期を迎えた中での達成だった。1990年代に入ってからも、腰痛の影響でフルスイングを控えるようになった1992年までは、再び達成することを期待させる数字を残し続けた。
難しいと思われた本塁打を前半に連発して達成した野村 1990年代はイチローなど可能性ある選手が数多く現れた
そして、文句なく第1位で称えたいのが、金本とほぼ同時代に広島の1番打者として活躍した野村謙二郎だ。野村は1995年に打率.315、32本塁打、30盗塁で達成した。
秋山や金本とは違い、どちらかというと俊足を武器とする「コツコツタイプ」だった野村は、1991年に打率.324、31盗塁を記録していたが、本塁打は10本。以後も10本台が続いていただけに、正直なところ30本塁打は難しいと考えられていた。しかし、1995年はシーズン前半から打ちまくり、6月終了時で主軸の金本や江藤智を上回る19本を記録。金本の盗塁のケースと同じく、生涯を通じて本塁打20本台の年は一度もないにもかかわらず、この年だけは一気に30本にたどり着き、偉業を達成するに至った。
以上、トリプルスリーを達成した選手達を紹介したが、この頃は日本の野球が情報化によってメジャーリーグの影響を受け始めており、球場の大型化にともない、スピードと長打力を兼ね備えたマルチな選手が数多く登場した時代だった。松永浩美(オリックス他)、佐々木誠(ダイエー他)、前田智徳(広島)といった選手にも、トリプルスリー達成の期待は毎年かかっていた。
そして、極めつけが1994年にシーズン記録の210安打を達成したイチロー(オリックス)である。イチローも野村と同じく本塁打が厳しいと思われていたが、1995年には25本を記録。この年は打率.342、49盗塁、さらに80打点を挙げて打率、打点、盗塁の変則三冠王になっただけに、30本塁打に達していたらと惜しまれる。
そう考えると、今年の山田の活躍ぶりがいかにすごいことであるか改めて実感させられる。果たして、新たな伝説は生まれるだろうか?
文=キビタキビオ(きびた・きびお)