所沢で蘇った男
初交渉で「背番号2」を提示、さらに高橋新監督と直電。
16日、西武からFA宣言した脇谷亮太が2年前まで所属した巨人と初交渉に臨んだ。推定年俸2,400万円、各補償なしのCランク選手と移籍への障壁も低く、西武移籍後も高橋由伸の沖縄自主トレ組の一員として行動をともにしていた男が、高橋体制1年目のチームに加わる事が決定的となった。
今季118試合で打率294・3本・22打点・OPS.763。得点圏打率333。サウスポーも苦にせず対左にも打率321を記録。時に3番を打ち、一塁と三塁、さらに右翼も経験。チームメイトを積極的にバス釣りに誘ったり環境にも慣れた西武移籍2年目、巨人時代の2010年以来の年間100試合以上出場を果たすとプロ10年目で国内FA権を取得。そのキャリアのほとんどをチームを助ける便利屋として過ごしてきた脇谷のプロ生活は、ここまで波瀾万丈だった。
NTT西日本から2005年大学生・社会人ドラフト5巡目で巨人入団。09年中日とのCSでは持ち前の勝負強さを発揮しシリーズMVPを獲得。翌10年には自己最高となる132試合に出場すると、打率.273、7本塁打、43打点、28盗塁の好成績。15試合連続得点のセ・リーグ記録に加え、リーグ最多の8本の三塁打を放った。当時29歳、ついに悲願のレギュラー定着かと思ったら、翌11年7月に右手有鉤骨を骨折。11月には右肘の靭帯再建手術を受け、育成選手として再契約し長期リハビリ生活に突入。13年シーズンは支配下再登録されるも出場機会に恵まれず、オフにFA片岡治大の人的補償で西武へと移籍。そして所沢で蘇ったわけだ。
2年前はプロテクトリストから漏れた男が、今度は古巣に請われて戻ろうとしている。高橋由伸の引退で手薄になった左の代打枠、同じく井端弘和が去った内野複数ポジションのバックアッパー候補として。巨人から提示されたのはその井端がつけていた背番号2だ。これはただの復帰ではなく、自ら這い上がり勝ち取った凱旋復帰と言っても過言ではない。
V3時代の巨人の強さの象徴は、勝負どころで由伸や井端や矢野や古城が控える控え選手層の厚さだった。今必要なのはチームを底上げするベンチ補強。長いペナント、最後に勝負を分けるのは選手層。そういう意味でも経験豊富であらゆる起用法のできる脇谷のような選手は貴重である。
人的補償選手の古巣へのFA復帰となれば史上初。ファンの間では賛否両論あるだろう。プロスポーツ選手の移籍について横浜F・マリノスの中村俊輔が、自著『察知力』の中でこう語っている。「移籍が成功だったかどうかなんて、引退してから考えることだ。もしかしたら引退しても分からないかもしれない。死ぬ直前ですら、成功だったか失敗だったかなんて分からないかもしれない」
今回の脇谷の決断も成功かどうかなんてまだ誰にも分からない。来季35歳、以前の在籍時は中堅選手だった男も気が付けばベテランだ。脇谷が由伸を見て育ったように、今度は若手選手たちが脇谷の背中を追いかけプレーするだろう。新体制で世代交代の進む巨人軍、多くのベテラン選手達がチームを去った今、脇谷亮太に懸かる期待は大きい。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)