高校3年間で直球の最速が120キロから144キロへ進化
今シーズン、王者・ソフトバンクでローテーションの一角を勝ち取ったのが千賀滉大だ。
2013年、150キロを超える速球をひっさげ、セットアッパーとして活躍した姿を覚えている人も多いだろう。あの彼は今年、摂津正や武田翔太、バンデンハーク、和田毅らがひしめく豪華なソフトバンク先発陣に実力で割って入ったのだ。
育成ドラフト4位から信頼を積み上げ、先発ローテーションの一員に抜擢されるまでの成長譚を追ってみたい。
愛知県立蒲郡高校出身の千賀。1年生のときは、最速120キロとどこにでもいる普通の投手に過ぎなかった。
「とにかく食べ、走った」と体を太くする努力を続け、3年時には最速144キロの速球を投げられるほどになる。だが、夏の県大会では3回戦負け。しかし、その姿を見ていたスポーツショップの店主の情報をソフトバンクスカウトが掬い上げ、2010年の育成ドラフトで指名を受けた。
入団会見では、「球の速さよりもキレで勝負するタイプ」と自らの特徴を語り、入団1年目は主に三軍戦で投げた。2年目の4月、支配下登録されると先発として一軍初登板。結果は3回1/3で3失点と、ほろ苦いデビューだった。
“弱さの自覚”が成長の糧に
2013年は開幕を一軍で迎え、セットアッパーを任される。51試合を投げ、1勝17ホールド。27試合連続無失点、さらにはオールスター出場も果たし、飛躍の年となった。
入団直後は「ほかの人に比べ細く、生き残れない」と思ったという千賀だったが、1日1000回の腹筋や体幹・ウェイトトレーニングを積み重ね、最速156キロまで球速を伸ばし、“お化けフォーク”と呼ばれる変化球を武器に一軍の座を掴んだのだ。
しかし、過度の登板のせいか故障を抱えてしまう。2013年終盤に左腹斜筋の肉離れで離脱すると、2014年も右肩の違和感に苦しむ。昨年後半にようやく一軍に復帰すると、先発3試合で2勝1敗、防御率0.40と結果を残した。
昨年の秋季キャンプ、工藤監督は千賀を強化選手に指名し、通常練習の後に3時間以上の特別練習を課した。さらに春季キャンプでは、2016年の先発起用を明言。千賀がそれほど期待される選手になれたのはなぜだろうか。
成長できた要因として、本人は過去にこう答えている。
「僕は人よりも弱いと自覚しています。また、自分の体以上に速いボールを投げている実感はあります。だから負荷がなく、体を効率よく使える投げ方というのを常に追求し続けています」(『高校野球ドットコム』より抜粋)
人間という生き物は、自分自身の弱点を見定めるのが苦手なものだ。特に負けず嫌いの塊のようなプロ野球選手で「人よりも弱い」と口にする選手はほとんどいない。
いくら高校時代に120キロの直球しか投げられなかったとしても、現在の彼の体格は身長186センチ・体重86キロと、プロとして十分である。千賀が成長できたのは、昔の弱さを思い出し、屈強な周りの選手に負けない体作りとフォームの研究を続けてきたからだろう。
育成から這い上がり、先発をつかみ取った“弱さを自覚する男”千賀。叩き上げの男が本格的に花開くのは2016年シーズンかもしれない。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)