補強期限の7月31日まで一か月あまりとなり、育成選手の支配下登録のニュースが目立ってきている。交流戦も終了したとはいえ、試合数はまだ半分ほどを残す折り返し地点だが、シーズン中の昇格を目指してきた育成契約の選手たちにとっては一つの結論がでる時期である。そう考えると、育成選手に与えられた時間は非常に限られたものだ。気持ちの切り替えから自分をアピールすることまでをこの短い時間にやってのけなければならず、もっと言えばその先には、支配下登録がゴールであるわけでもないという非常に厳しい現実も待つ。
そんな中、昨秋にDeNAを戦力外になり、テスト生として参加していた春季キャンプを経てオリックスの育成選手となっていた大田阿斗里が支配下選手となった。
現在パ・リーグ最下位のオリックス。7月31日の期限までにどのような補強をするか注目されていたが、今回の大田の支配下登録が実質的には最後の補強となるようだ。戦線離脱していたエース金子の復帰も目途が立ち、基本的には現状の戦力で強化を図っていくということだろう。
大田といえば、「一軍初登板からの未勝利連敗記録歴代3位」という不名誉な記録の持ち主でもある。
2007年高校生ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。190cmの恵まれた体格に加え、帝京高3年時のセンバツ大会では江川と並ぶ大会史上2位の20奪三振を記録するなどの活躍を見せ、将来を期待されての入団だった。
プロ1年目から一軍デビューし初先発も果たすが、5試合で0勝2敗、防御率8.03という成績に終わる。そしてここから2011年まで、実に4年かけて一軍登板未勝利10連敗という記録を打ち立ててしまったのだ。もちろん大田の投球内容だけでなく、運が悪かった面もあるだろうが、プロ未勝利のまま負け数だけが積みあがっていく状況はかなりきつかっただろう。
2012年にも2試合の一軍登板があるが、勝敗はつかず、この年のオフに登録名をそれまでの「阿斗里」から「大田阿斗里」に変更している。そのおかげかはわからないが、翌2013年、プロ入り6年目にして初勝利をあげる。6月22日の阪神戦、1点リードの5回二死満塁というなんともしびれる場面で2番手投手としてマウンドにあがり、そのまま6回までを無失点に抑えて勝利投手となったのだ。あと1敗で連敗記録歴代1位タイとなっていたため、ギリギリで不名誉な歴史のトップに名を刻むことを免れた形だ。
この年は自己最多の38試合に登板、2勝4敗5ホールドをあげるなど、キャリア最高の成績となりオフの契約更改で年俸も倍増し、覚醒の年となった。
しかし、期待された翌2014年4月の登録抹消から結局一度も一軍登録されることなく昨秋に戦力外となる。本人だけでなくそれまで粘り強く育ててきたチーム関係者にとってもなんとも歯がゆい結果となってしまった。
退団後はMLBチームのトライアウトやNPB合同トライアウトなどを受験し、パドレスとのマイナー契約の報道などもあったが、最終的には年をまたぎ、春季キャンプでオリックスに拾われ、今回の昇格に至るわけだ。
高校2年時から甲子園に出場し、3年のセンバツで前述のような活躍を見せたにも関わらず、3年の夏にはフォームを崩しエースの座を譲るなど、メンタルの弱さを指摘されることもある大田だが、6年かかった初勝利からたった2年で訪れた戦力外という挫折を乗り越え確実に成長を遂げているだろう。
8年間辛抱強く育ててくれた横浜と、拾ってくれたオリックスへの恩返しをするチャンスを逃すわけにはいかない。
そんな中、昨秋にDeNAを戦力外になり、テスト生として参加していた春季キャンプを経てオリックスの育成選手となっていた大田阿斗里が支配下選手となった。
現在パ・リーグ最下位のオリックス。7月31日の期限までにどのような補強をするか注目されていたが、今回の大田の支配下登録が実質的には最後の補強となるようだ。戦線離脱していたエース金子の復帰も目途が立ち、基本的には現状の戦力で強化を図っていくということだろう。
大田といえば、「一軍初登板からの未勝利連敗記録歴代3位」という不名誉な記録の持ち主でもある。
2007年高校生ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。190cmの恵まれた体格に加え、帝京高3年時のセンバツ大会では江川と並ぶ大会史上2位の20奪三振を記録するなどの活躍を見せ、将来を期待されての入団だった。
プロ1年目から一軍デビューし初先発も果たすが、5試合で0勝2敗、防御率8.03という成績に終わる。そしてここから2011年まで、実に4年かけて一軍登板未勝利10連敗という記録を打ち立ててしまったのだ。もちろん大田の投球内容だけでなく、運が悪かった面もあるだろうが、プロ未勝利のまま負け数だけが積みあがっていく状況はかなりきつかっただろう。
2012年にも2試合の一軍登板があるが、勝敗はつかず、この年のオフに登録名をそれまでの「阿斗里」から「大田阿斗里」に変更している。そのおかげかはわからないが、翌2013年、プロ入り6年目にして初勝利をあげる。6月22日の阪神戦、1点リードの5回二死満塁というなんともしびれる場面で2番手投手としてマウンドにあがり、そのまま6回までを無失点に抑えて勝利投手となったのだ。あと1敗で連敗記録歴代1位タイとなっていたため、ギリギリで不名誉な歴史のトップに名を刻むことを免れた形だ。
この年は自己最多の38試合に登板、2勝4敗5ホールドをあげるなど、キャリア最高の成績となりオフの契約更改で年俸も倍増し、覚醒の年となった。
しかし、期待された翌2014年4月の登録抹消から結局一度も一軍登録されることなく昨秋に戦力外となる。本人だけでなくそれまで粘り強く育ててきたチーム関係者にとってもなんとも歯がゆい結果となってしまった。
退団後はMLBチームのトライアウトやNPB合同トライアウトなどを受験し、パドレスとのマイナー契約の報道などもあったが、最終的には年をまたぎ、春季キャンプでオリックスに拾われ、今回の昇格に至るわけだ。
高校2年時から甲子園に出場し、3年のセンバツで前述のような活躍を見せたにも関わらず、3年の夏にはフォームを崩しエースの座を譲るなど、メンタルの弱さを指摘されることもある大田だが、6年かかった初勝利からたった2年で訪れた戦力外という挫折を乗り越え確実に成長を遂げているだろう。
8年間辛抱強く育ててくれた横浜と、拾ってくれたオリックスへの恩返しをするチャンスを逃すわけにはいかない。