コラム 2024.04.25. 11:01

「斎藤佑樹」という特殊な経験から見えた元プロ野球選手のネクストキャリア

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[撮影=原田健太]

「だから安心」ではなく「だから全力で」そう思えるメリットは大きい


――斎藤さんがネクストキャリアについて具体的に考え始めたのは現役引退を決断してからとのことですが、例えば、高校生や大学生の頃、将来について漠然と考えることはありませんでしたか?

大学3年の頃、就職活動に励む同級生の姿を見て「もしも自分の目標がプロ野球じゃなかったら」と考えたことはありましたし、プロの世界に飛び込んでからも、先輩たちが引退の決断をするたびに「自分は何をするんだろう」と思ったことも何度もありました。でも、現役中に、引退後の自分について真剣に考えることはありませんでした。もちろん、意識的にそうしていたところもあります。


――年齢を重ねていっても、その姿勢に変化はなかった?

北海道日本ハムファイターズの監督だった栗山英樹さんにいただいた言葉がずっと頭に残っていたんです。「野球ができるうちはしっかりと野球に向き合いなさい。それができれば、野球ができなくなっても必ずみんなが助けてくれるから」と。あの言葉がなかったら違う行動を取っていたかもしれないし、不安に思うこともあったかもしれません。栗山さんからいただいた言葉は、「見えないものを見ようとしない」という僕自身のスタンスにも合っていた気がします。

ただ、やっぱり難しいですよね。「何が正しいか」は人それぞれに違うと思うので、野球だけに集中するから結果を残せる人もいるし、野球だけに集中しようとすることで大きなプレッシャーを受けて、それに苦しむ人もいる。


――アスリートは突然大きなケガをしてしまうこともあるし、先が見えないからこそ“どう向き合うか”は難しい。それぞれに境遇も違うので、唯一の正解はないのかもしれません。

そう思います。ケガについてはひとつ印象に残っている出来事があって、あれは2012年だったかな。右肩を痛めてリハビリをしていた時期に、同じくリハビリに励んでいた選手みんなに聞いたことがあるんですよ。「プロ野球選手を引退したら、その次はどうする?」と。その中で、ひとりの外国人選手がはっきり言ったんです。「俺は父親がやっている農場を継ぐんだ」と。その話を聞いて、すごくいいなと思ったんですよね。“次にやること”がはっきりと決まっているからこそ、今、こうして野球に集中できる。全力で向き合える。そういう姿勢を彼自身から感じていたので、「なるほど」と納得したところがあって。


――いつ、どんなタイミングでキャリアが終わってしまっても不思議ではない厳しい世界で生きているからこそ、“その次”に対する不安がまったくないことをメリットを感じることができたと。

そのとおりです。「だから安心」ではなく「だから全力で」。そう思えるメリットは大きいと思ったし、ゴールが見えているからこそ力をセーブすることなく走り抜けられる感覚、その強さみたいなものを彼からダイレクトに感じて。現状に対する愚痴なんて絶対に言わないし、リハビリへの向き合い方も素晴らしかったんですよ。その姿勢から、僕自身がものすごく大切なことを学ばせてもらった気がしました。




「斎藤佑樹」は特殊な経験 自分にしかできない恩返しがある


――斎藤さん自身はプロとしてのキャリア10年目の2021年に現役引退を決断し、「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げ、経営者としてネクストキャリアを歩むという選択をされました。

自分で言うのも恥ずかしいんですけれど、斎藤佑樹という人間は、野球界においてはかなり特殊な経験をさせてもらえたと思っているんです。だからこそ自分にしかできないことがあると思いましたし、それを形にして野球界にちゃんと恩返しをしたいなと。まずは、その思いが原点にありました。

それを実現するためには、どこかの組織に属するのではなく、斎藤佑樹という名前一人の人間としての自分を前面に押し出す形で活動するべきだと考えました。これまで自分のことを気にかけてくれた皆さんに1人で歩いて自らの脚で歩んでいる姿を示したかったし、1人だからこそ、いろいろな人と関わりながら新しいことにチャレンジする機会を増やせるのではないかと。まずは「会社を作ろう」。その次に「さて何をやる?」という感じでした。


――個人的には、そのリリースを耳にしてかなり驚きました。正直なところ、野球選手としての斎藤さんに対しては“悲運の人”と見る向きも強いと思うんです。ご自身にとっては不本意な形で注目されたこともあっただろうし、それに苦しんだこともたくさんあっただろうと想像するからこそ、「斎藤佑樹」という名前に対して、ご自身が「社名にしてしまおう」と思える捉え方をしていたことに驚きました。

ありがとうございます。プロのアスリートという職業は、本人にとっては負のエネルギーを外部からぶつけられてしまうこともありますよね。ただ、僕はそういう負のエネルギーに対して言い返そうとするより、自分自身が何かを積み重ねることで上回ろうとする視座を高めるほうが早いし、結果的には野球界に貢献できるんじゃないかと思っていて。だから、何があっても言い訳をせずに、ひたすら積み重ねることに集中したいなと。そういう思いの延長として「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げれば、野球界にまた何らかの形で貢献できるのではないかと考えました。


――その思いが伝わって、「さて何をやる?」と考えなくても多くのお仕事が舞い込んできたのでは?

多くの皆さんに声をかけていただいて本当に嬉しかったし、仕事というものが、人とのつながりによって生まれていくものであることを実感しました。だからこそ、一つひとつの仕事に対して覚悟を示すことが大切だと思いましたし、僕自身もそういう相手と一緒に仕事をしたいと思っています。現状としては、地方自治体の皆さんと一緒に町興し地方創生に取り組んだり、企業と組んでさまざまな課題解決に向き合ったり、僕自身がメディアに出演して発信させてもらったり。スポーツビジネスにまつわる業務を本当に幅広く経験させていただいているので、そのすべてを野球界に還元できるように頑張りたいと考えているところです。




プロ野球選手が、今よりもっと野球に集中できるように


――ビジネスの世界に生きる上で、元プロ野球選手だからこそのメリットは感じていますか?

ひとつはアスリートとのつながり。それからもうひとつは、やはりどんなことに対してもあきらめずに乗り越えようとするメンタリティーにあると思います。それはアスリートがネクストキャリアを考える上で“武器にするべき長所”であると考えていたので、僕自身が身をもって体感できていることに大きな意味があると感じています。逆に、ビジネスにおける知識や経験については僕自身の不足を感じざるを得ないのですが、それは“楽しさ”でもありますね。今の僕の頭は何でも吸収できるスポンジ状態なので、どうせなら、その状態を楽しみながら勉強したいと思っているところです。


――斎藤さんのネクストキャリアはまだ動き始めたばかりかもしれませんが、“ネクストの次”にはどんな野望を?

今の自分が明確な目標として思い描いているのは、日本に専用の少年子ども達のための野球場を作ることです。アメリカはすごいんですよ。リトルリーグの世界大会が行われるスタジアムがあって、決勝戦には5万人近くのお客さんが入る。わかりやすく言うと“少年野球専用の阪神甲子園球場”みたいな感覚ですよね。あれは本当にすごい。だから、いつか、日本の子どもたちにもそういう舞台を作ってあげたいなと。


――ネクストキャリアについて、現役のプロ野球選手たちに伝えたいことはありますか?

どのタイミングで、どう考えるかについては人それぞれでいいと思うんです。でも、もしも将来のことを不安に思ったり、真剣に考えてみたいと思うタイミングが来ったら、まずは「やりたいこと」を見つける努力をしてみてほしい。自分から「やりたい」と思えるエネルギーはネクストキャリアにおいても大きな原動力になると思うし、それさえあれば、応援してくれる人、助けてくれる人は必ずいると僕は思います。僕自身がそうだったので、やっぱり、まずはそこがスタート地点なのかなと。

引退してから時々思うんですよ。単純に、思い切り遠くにボールを投げたいなって。ピッチングをしたいわけじゃなく、ただ遠くに投げたいだけ。現役時代は毎日あたりまえのようにやっていたけれど、それができる環境って本当にめぐまれているんですよね。今だからこそ、現役時代の自分に「あたりまえじゃないよ」と伝えたいくらいです。そういう意味も込めて、プロ野球選手が今よりもっと野球に集中できるように、『アスミチ』を通じて“次”の可能性や選択肢を提供できたらいいなと思っています。

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取材=細江克弥
撮影=原⽥健太
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